木村白山
作家名 | 木村白山 |
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作家名ヨミ | キムラ ハクザン |
英語表記 | Hakuzan Kimura |
生年 | 不明 |
没年 | 不明 |
紹介文 | 生没年不詳。生い立ちや経歴に関してはほとんど知られていないが、忠臣蔵や目玉の松ちゃんなどを扱った時代劇アニメーションを得意とし、麻生豊の4コマ漫画「ノンキナトウサン」のアニメーション化や文部省映画の受託も行った。 |
略歴
生没年不詳。名前のヨミはハクサンとする説もある。
生い立ちや経歴に関してはほとんど知られておらず、『日本アニメーション映画史』(山口且訓・渡辺泰共著、プラネット編、1978年)によれば、もともとは博覧会などの会場で看板絵や背景画を描いていたという。北山映画の橋口寿に技術的指導を受け、朝日キネマ合名社の依頼で製作した時代劇アニメーション『赤垣源蔵徳利の別れ』(1924年)が木村のデビュー作とされている。朝日キネマでは、内田吐夢・奥田秀彦とともに『蟹満寺縁起』(1925年)を影絵映画として製作したほか、教訓映画『勤倹貯蓄 塩原多助』(1925年)、以後、文部省映画の製作も受託していた。一方で、3年をかけて自主制作したポルノアニメーション『すゞみ舟』(1932年)が小石川署に検挙され、フィルムの押収という憂き目にあう。佐藤吟次郎の率いた佐藤線映画製作所での『荒鷲』(1938年)を最後にアニメーションを離れ、戦中は、梁川剛一や樺島勝一ら、挿絵画家とともに『興亜の光: 聖戦美談』(国史名画刊行会、1939年)や『大東亜決戦画集』(同、1943年)といった画帖のために絵筆を振るった。戦後の消息や活動は長らく不明であったが、近年、奥田商会製作の幻燈に「作画:木村白山」というクレジットのある作品(長篇幻燈『アクメスライド 如是姫 善光寺縁起』など)が見つかっている。
掲載作品
なぞ多き作家の遺した教訓譚
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