資料室
カラー動画への野心
やがて大藤は、千代紙映画だけではなくセル画による漫画映画にも取り組み、「団子兵衛」や「ちんころ平平」といった愛らしいキャラクターを世に送り出した。華やかな色彩を持つ千代紙を使いながらも、戦前期の日本映画はまだカラー技術が熟しておらず、映画作品は白黒のままであった。そのことに不満を抱いた大藤はカラー映画の研究に取りかかった。コダクロームのフィルムによる1937年の『カツラ姫』は、試作品ではあったが、大藤はその美しい色彩に自ら驚き、のちの映画作りに道を開く一本となった。
千代紙自身は大変美しい色彩をもった、木版ずりの日本独得のものであったが、当時はカラー・フィルムがないので、色彩は出せなかった。色彩のない千代紙映画など、およそ興味なし、とついにその製作を中止し、色彩フィルムの研究を始めた。
大藤信郎「影絵映画半生紀」
(『週刊朝日 別冊』1956年10月号)
戦争の時代―影絵への接近
大藤は、ロッテ・ライニガーの名作『アクメッド王子の冒険』(1926年)など、若き日から海外の影絵アニメーションに関心を示してきたが、自らそれに取り組み始めたのは太平洋戦争が近くなった頃である。ちょうどその時期には、日本にも荒井和五郎をはじめ卓越した影絵アニメーションの作家が現われ始めている。
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