作家紹介
初期の国産アニメーション映画は、家内制手工業のように少人数で製作されていました。これらの作品を世に送り出し、日本のアニメーションの礎となった先駆者たちを紹介します。
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大石郁雄
オオイシ イクオ
1902年~1944年12月4日
1902年、東京生まれ。「日本のディズニー」という宣伝に負けぬ実力を持ち、代表作『動絵狐狸達引』(1933年)で一層注目を浴びる。1944年に、惜しくも洋上で戦死するが、P.C.L.漫画部、そして東宝で、次代を担う多くの後進を育てた。
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荻野茂二
オギノ シゲジ
1899年9月26日~1991年
1899年、栃木生まれ。製作だけでなく、8ミリ教室の主催など、日本の小型映画・アマチュア映画界を牽引した。400本を超える自身の作品は、ホームムービーにとどまらず、記録や紀行、アニメーションに及ぶ。
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北山清太郎
キタヤマ セイタロウ
1888年3月3日~1945年2月13日
1888年、和歌山生まれ。美術界では出版や画材調達を通して若い画家たちを支え、アニメーション界では、その可能性に目を付けて受注を増やし、同時に量産の需要に応える集団製作体制を整備するなど、作家としてだけでなく実業家の一面を持つ。
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木村白山
キムラ ハクザン
不明~不明
生没年不詳。生い立ちや経歴に関してはほとんど知られていないが、忠臣蔵や目玉の松ちゃんなどを扱った時代劇アニメーションを得意とし、麻生豊の4コマ漫画「ノンキナトウサン」のアニメーション化や文部省映画の受託も行った。
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幸内純一
コウウチ ジュンイチ
1886年9月15日~1970年10月6日
1886年、岡山生まれ。アニメーションの製作に関わった期間は短いものの、日本アニメーションのパイオニアのひとりとして知られ、『なまくら刀』は1917年製作・公開の国産アニメーションとしては現在、唯一現存が確認されている。
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瀬尾光世
セオ ミツヨ
1911年9月26日~2010年8月24日
1911年、姫路生まれ。政岡憲三のもとで日本初のトーキーアニメーションの製作に従事。官庁からの委嘱作品も多く手がけ、文部省の音楽映画『アリチャン』(1941年)、海軍省の長篇アニメーション『桃太郎の海鷲』(1943年)が知られる。
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政岡憲三
マサオカ ケンゾウ
1898年10月5日~1988年11月23日
1898年、大阪生まれ。画家を目指して東京へ出るが、戻った京都で映画の仕事に従事する。セル画やトーキーの導入、自らも演奏者となった専属楽団など、独自の美的感覚を発揮し、アニメーションに様々な面から新たな可能性を吹き込んだ。
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村田安司
ムラタ ヤスジ
1896年1月24日~1966年11月22日
1896年、横浜生まれ。映画館の看板描きなどをしていたが、震災後に加わった横浜シネマ商会で、50タイトルにのぼる作品を世に送り出し、その妙技で切り紙アニメーションの頂点を極めた。
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山本早苗
ヤマモト サナエ
1898年2月6日~1981年2月8日
1898年、千葉生まれ。北山清太郎に誘われて、アニメーション製作を開始。戦前は官庁からの受託作品を多く手がけた。戦後、同時代の作家たちがアニメーションから離れていくなか、東映動画とともに生涯にわたって業界を支えた。
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