作品を知ろう
日本アニメーション映画クラシックスの作品について、より詳しく知ることができます!
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- 日本のアニメーション映画で一番古い作品はなんですか?
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日本最古のアニメーション映画は、長らく下川凹天の『芋川椋三玄関番の巻』(1917年)であるとされてきました。しかし近年の調査研究により、これより前に公開された下川の作品があることが明らかになっています。現状では『凸坊新畫帖、芋助猪狩の巻』(1917年1月)が、もっとも早く公開されたアニメーション映画ではないかとされています(2017年7月現在)。詳しくは日本動画協会のレポートをご覧ください。
なお、残念ながらフィルムの現存は確認されておらず、現在見ることのできる最古の作品は、同じ1917年の6月に封切られた、幸内純一の『なまくら刀』になります。本作は本サイトで閲覧することができます。
- 「日本アニメーション映画クラシックス」で閲覧できる作品は、制作当時どのような環境で見られたのでしょうか?
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作品によっても異なります。一般の長篇実写映画と併映する形で、映画館で見られたもの、教育用コンテンツとして講堂などでの巡回映写が行われたもの、個人作家が同好の士とともに映画サークルなどで上映したもの、家庭用の娯楽として販売されたものなど、多様な形態があります。
- サイレント(無音)の作品が多いですが、当時も音がないまま見ていたのでしょうか
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映画館でサイレント映画を上映する際には、ピアノなどの伴奏をつけていました。また、日本ではスクリーンの横で「弁士」と呼ばれた解説者が、巧みな話芸でストーリーやセリフをしゃべる形式もポピュラーで、人気を博していました。映画館のない地域での巡回映写では、映写技師などのスタッフが解説者を兼ねていたと思われます。またその場合、伴奏にレコード(音声を記録した円盤)を流したり、レクリエーションの一環として簡易的な楽隊が同道していたりと、様々な形態があったようです。さらに小規模な、映画サークルや家庭での趣味・娯楽としての上映では、映像と音を楽しむために、よりバリエーションに富んだ方法がとられていたはずです。本サイトを個人の楽しみや勉強会などでご利用の皆さまも、そうした自由な鑑賞形態を想像し、また試みていただければと思います。
- 作品解説にある「レコード式トーキー」とは何でしょうか? 普通のトーキーとは違うのですか?
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フィルムに音声を記録するためのサウンドトラックが設けられる以前、蓄音機と映写機を同期させて再生・映写する「ディスク式トーキー」と呼ばれた技術がありました。映画館で用いられる映写機は、間もなくサウンドトラックを持つフィルムを扱える仕様に変わっていきますが、アマチュア作家や教育現場などに用いられた小型の映写機は、当初そうした機能を組み込むことが技術的・コスト的に難しく、代わりにレコードを同期させて伴奏を再生する「レコード式トーキー」が重宝されました。本サイトでは大藤信郎や村田安司の作品を公開していますが、大藤の『國歌 君か代』を除き、レコードの所蔵がないため、サイレントでの公開となっております。
- 草創期のアニメーションと、今のアニメーションでは、手法にどのような違いがありますか?
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現在の我々が目にすることが多いデジタルアニメーションは、セルアニメーションの技法を基に制作されていますが、本サイト掲載の作品には、セルが導入される以前の切り紙によるものが多く見られます。セルアニメーションに移行する以前から、その技術は一定の水準に達していたことが分かります。
- 草創期のアニメーションが、その後のアニメーションに与えた影響にはどのようなものがありますか?
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ディズニーをはじめとした海外アニメーションから多大な刺激と影響を受けながら、自らの技法を開発していった諸作家の試行錯誤は、戦時下の国策長篇映画制作を経て、戦後の量産を実現するための技術的な基礎になったと思われます。また、パイオニアの一人で、スタジオでの集団制作を実行していた北山清太郎のもとからは、戦後に東映動画(現・東映アニメーション)株式会社の重役になる山本早苗(善次郎)が育っています。東映動画から高畑勲や宮崎駿、細田守といった人材が輩出されたことを考えれば、北山による事業としてのアニメーション制作が、現在まで連なる作家の系譜の発端になったとも言えるでしょう。
- 日本独自の技法と言えるものはありますか?
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大藤信郎の千代紙映画は、日本独自の素材である千代紙を用いて制作されています。切り紙の手法自体は世界各地で見られるものですが、そこに自身が慣れ親しんだ千代紙という伝統的素材を用いたのは、大藤の独自性と言えるでしょう。
また、モノクロフィルムの時代から、千代紙を用いることで色彩表現に関心を抱いていたと思われる大藤が、戦後に色セロファンを用いて考案したカラー作品の影絵映画も、独自の応用と言えるかもしれません。
- 女性の作家はいないのでしょうか?
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この時代には、女性の作家がいたという記録は確認されていません。ただし、個人作家であった大藤信郎は、アシスタントや、制作費の調達、映画館への販売などを姉の八重に頼っていました。大藤八重はこの時代のアニメーション映画の女性プロデューサーと言えるでしょう。
- おすすめの作品を教えてください。
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現存する最古のアニメーションフィルムである幸内純一の『なまくら刀』はもちろんですが、技法的・歴史的な観点からは、以下の作品が必見です。
大藤信郎が生涯にわたって繰り返し描いた、難船のモチーフが早くも登場する初期作『みかん舩』
村田安司による細密な切り紙アニメーション『漫画 二つの世界』
荻野茂二による立体アニメーション『FELIXの迷探偵』
同じく荻野が色彩表現を試みた抽象映画『AN EXPRESSION(表現)』
政岡憲三のデビュー作『難船ス物語 第壱篇 猿ヶ嶋』
大石郁雄によるトーキーアニメーション『ポン助の春』
多層式撮影台を用いて完成された日本最初の作品である瀬尾光世の『アリチャン』
なお本サイトでは「カテゴリー別」のページから「物語」「アクション」「演出技法」「キャラクター」と、様々なカテゴリーから作品を鑑賞することが可能です。ぜひお試し下さい。
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