資料室
世界を驚かせた『くじら』と『幽霊船』
戦後の大藤は、カラー技術の発達を見越して新たな表現方法に挑戦する。それは、若い頃にドイツの『カリフの鶴』や『アクメッド王子の冒険』で強い印象を受けた影絵映画で、大藤はこれに色彩を加えようと工夫を重ね、研究の末に色彩セロファンを採用した。
そこから生まれたのが『くじら』(1952年)と『幽霊船』(1956年)で、その幻想的な世界は日本より先にカンヌやヴェネチアといった外国の映画祭で受け入れられた。以降は各地から出品依頼の手紙が舞い込んだが、大藤は映画業界の助けを得ることなく、たったひとりで世界とわたり合った。その後は国内の新聞・雑誌でも注目されたが、それでも大藤は飄々と独立独歩の作家であり続けた。
日本においてもその悉くの作者がセルロイド法を使用している時代であるにも、ひとり影絵映画の世界のみは三十年来少しの進歩のない作法でよいのであろうか、私はこういう不満のもとに、改革に着手したのであった。(…)
まず始めに考えたのはガラス絵である。しかしガラスは切ったり張ったりは出来ない、そこで次に色彩セルロイドに目をつけた、が、これは費用がかかり過ぎる。一巻の映画に、セルロイドの費用だけで二三百万円はかかってしまう、そうした時、デパート等での買物に色彩セロハンに包まれてくるのをみた、これだ、と私は思った。セロハンなら値段も安いし、切ったり張ったりも自由である。こうして色彩セロハン映画『くじら』が製作せられたのである。
大藤信郎「影繪映画三十年」
(『芸術新潮』1956年7月号)
宗教アニメーションでの活躍
戦後の大藤は、さまざまな宗教団体のスポンサーを得て、キリスト教・仏教・神道といった宗教的なモチーフによる作品を量産した。神社本庁の企画による「古事記物語」シリーズや、逝去後に長篇『釈迦の生涯』に再編集された『大聖釋迦』は、大藤のモノクロ影絵映画の集大成といえる作品である。
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