大藤信郎

作家名 大藤信郎
作家名ヨミ オオフジ ノブロウ
英語表記 Noburo Ofuji
生年 1900年6月1日
没年 1961年7月28日
紹介文 1900年、東京生まれ。幸内純一のもとでアニメーションの基礎を学び、千代紙を用いた独自の切り紙アニメーションを開花させた。一貫した個人制作のスタイルを保ちながら、切り紙、セル画、影絵、色セロファンなど様々な技法に挑戦した。

大藤信郎記念館

大藤信郎

略歴

1900(明治33)年6月1日、東京・浅草に生まれる。
生家は蓄音機の録音スタジオを経営しており、信郎は8人兄弟の7人目で、本名を信七郎と言った。日本のアニメーションの創始者のひとりに数えられる幸内純一に弟子入りし、1926(大正15)年に江戸千代紙を用いたアニメーションの第1作『馬具田城の盗賊』を発表。千代紙を用いる切り紙アニメーションの手法は大藤の代名詞ともなり、代々木上原の自宅に設立した「自由映画研究所」は、後に「千代紙映画社」と改称した。実写とアニメーションの合成、レコード式トーキーやシネカラーなど、敏感に新技術を取り込み、また、切り紙だけでなく、大藤の主要なキャラクターである団子兵衛や犬の平々が登場するセル画の作品も多く手がけて、村田安司、山本早苗(善次郎)らとともに国産アニメーションの礎を築いた。戦後は、影絵に色彩セロファンを交えた独自の手法を生み出し、『くじら』(1952年)、『幽霊船』(1956年)など、海外の映画祭で高く評価された。撮影台を自作するなど、姉・八重とともに、個人製作体制を貫いた作家で、晩年は長篇の大作『竹取物語』、そして自身の集大成とすべく計画された『ガリバー旅行記』の製作にかかっていたが、完成を見ることなく61歳で他界した。
1961(昭和36)年7月28日没。